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福岡地方裁判所 昭和56年(ワ)1298号 判決

第一二九八号事件原告・第二九号事件被告

因幡茂平次

右訴訟代理人

岩城邦治

岩城和代

第一二九八号事件被告・第二九号事件原告

因幡磯美

右訴訟代理人

吉原淳治

主文

一  第一二九八号事件の原告の請求を棄却する。

二  第二九号事件の原告の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を第一二九八号事件原告(第二九号事件被告)の負担とし、その余は第二九号事件原告(第一二九八号事件被告)の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(第一二九八号事件につき)

一  請求の趣旨

1 被告(第二九号事件原告、以下単に「被告」という。)は、原告(第二九号事件被告、以下単に「原告」という。)に対し、別紙(一)物件目録記載の各不動産につき、昭和一五年一〇月一八日又は昭和三二年五月一一日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(第二九号事件につき)

一  請求の趣旨

1 原告は、被告に対し、金七三七万一二五六円及びこれに対する昭和五七年一月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 被告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

(第一二九八号事件につき)

一  請求原因

1 原告は、昭和一五年一〇月一八日から、別紙物件目録一記載1ないし15の土地(以下それぞれ「本件一ノ土地」「本件一2土地」というように表示し、総称して「本件一土地」という。なお、本件一8土地は右目録記載の交換分合前の旧土地をさす。以下特にことわらない限り旧土地をさす。)を占有している

2 占有のはじめ、原告は、後記3の事情により本件一土地が自己の所有に属すると信ずるにつき無過失であつた。

3 原告の本件一土地占有開始の経緯及び占有の状況は次のとおりである。

(一) 本件一土地は、別紙二物件目録記載の土地(以下、それぞれの土地を「本件二ノ土地」「本件二2土地」のようにいい、総称して「本件二土地という。なお二45土地については交換分合前の旧土地をさす。以下特にことわらない限り同じ。)などの土地とともにいずれもいわば「因幡家」の財産として、因幡磯吉(以下単に「磯吉」という。以下、因幡姓の者については、同様に姓を略し名のみで表示する。)又はその長男(推定家督相続人)であつた等の所有であつた。

なお、被告は等の長男であり、原告は磯吉の子で等の弟であり、原告の妻サンはもと等の妻であり、被告の母であり、等とサンの間の子として他に久美子がいる。

(二) 等は、昭和一一年秋に軍隊に召集され戦地に赴いたがその際、原告に対して、「万一自分が戦死したような場合は、因幡家の跡継ぎとして家をしつかり守つていくとともに、妻や子の養育に力を尽くしてほしい」旨くれぐれ頼むとともに、妻サンに対しても、「万一の場合は弟に頼れ」と言い残し、親類の者に対しても、「万一の場合は、因幡家の跡継ぎとして原告のことをよろしく頼む」旨を伝えた。

(三) 等は昭和一二年一二月二二日戦死し(その旨の公報は昭和一三年二月に伝えられた。)磯吉は、昭和一二年一二月二五日死亡した。

右の当時、被告は三才であり、その妹久美子は一才であつた。

(四) 磯吉の死亡の時点で、因幡家の跡継ぎをどうするかが親族間で問題となつていたところに等の戦死の報が伝えられたのであるから、ここで、因幡家の跡継ぎは、被告ではなく原告と定めるべきであつたが、原告も昭和一三年一月一三日に軍隊に召集されたためその生死に不安があつたことから昭和一三年二月五日にとりあえず被告が家督相続人として届け出られた。

(五) 原告は、昭和一五年八月、召集を解除され因幡家に戻つてきた。当時その家族は、原告の母ムメ、等の妻サン、その子被告(六才)及び久美子(四才)であり、原告が農業に従事して家を支えて行つた。そこで、親類の者たちが、等の意思に従つて原告に因幡家の跡を継ぎ当主として家業の農業に当たるように勧め等の妻サン(被告の母で当時その親権者)との結婚を取り計らつたため、原告もこれに従い、因幡家の跡を継ぐことを決意し、等の妻サンと婚姻することとし、昭和一五年一〇月一八日に挙式し親類、縁者、村の人に披露された(婚姻の届出は、昭和一六年七月三〇日)。

(六) 原告は、その後自分が因幡家の当主と考えて、本件一土地のうち宅地の上の家屋に居住して被告、被告の妹久美子の養育にあたるとともに、じ来本件一土地のうち田、畑はこれを耕作し、山林は、たきぎを採取し、松、檜を植林するほか下草刈ともに、じ来本件一土地や下枝刈りを行う等使用管理し、又、本件一土地の固定資産税なども、昭和五五年度分まで支払つてきている。

4 占有開始より一〇年経過したときである昭和二五年一〇月一八日又は、二〇年を経過したときである昭和三五年一〇月一八日にも原告は本件一土地(一8の土地については昭和三五年一〇月一八日には交換分合後の新土地)を占有していた。

5 仮に、昭和一五年一〇月一八日からの占有が所有の意思のないものであつたとしても、原告は、昭和三二年五月一一日にも本件一土地を前同様に占有していたが、本件一土地や本件二土地と同様に、因幡家の跡を継ぐことにより昭和一五年一〇月一八日以降占有してきた土地の交換分合後の新土地である別紙物件目録三記載の土地を代金一〇万円で利光に売り渡したが、これにより、本件一土地についても自己の所有物として占有する旨を表示した。

原告は、以後、二〇年を経過した昭和五二年五月一一日にも本件一土地(一8土地については交換分合後の新土地)を同様に占有していた。

6 本件一土地(18土地については交換分合後の新土地)につき、被告を所有名義人とする登記がされている。

7 原告は、本訴において一〇年又は二〇年の取得時効を援用する。

8 よつて、原告は、被告に対し、本件一土地(一8土地については交換分合後の新土地)につき、時効によつて取得した所有権に基づいて、昭和一五年一〇月一八日又は昭和三二年五月一一日の時効取得を原因とする所有権移転登記手続を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1は否認する。

2 請求原因2は否認する。

3(一) 請求原因3(一)の事実は認める。

(二) 同三(二)の事実は否認する。等が軍隊に召集されたのは昭和一二年秋である。その際原告主張のような発言をしたとしても、出征する者の常套のあいさつ言葉にすぎない。

(三) 同三(三)の事実は認める。

(四) 同三(四)の事実のうち、原告が昭和一三年一月一三日に軍隊に召集されたことは不知、昭和一三年二月五日に被告が磯吉の家督相続人として届出られたことは認め、その余は否認する。

(五) 同三(五)の事実のうち原告が召集を解除されたこと及びその年月日は不知、原告がサンと婚姻し、昭和一六年七月三〇日に届出を了したことは認め、その余は否認する。

(六) 同三(六)の事実は否認する。

4 請求原因4の事実は否認する。

5 請求原因5の事実は否認する。磯吉又は等から被告が相続した不動産の一部を原告が売却したとしても、それは被告の代理人として行つたものである。

6 請求原因6の事実は認める。

三  抗弁

1 原告が本件(一)不動産を占有していたとしても、それは、次の事情からすると所有の意思のないものである。

(一) 本件一土地はいずれももと磯吉又は等が所有していたものであり、被告は、等及び磯吉の死亡により、磯吉を家督相続し、等を遺産相続した。

(二) 原告の主張するとおり原告は被告の母サンと婚姻しているから、原告は、被告の継父としてその財産を管理する旧民法上の義務を負つていたものであり、原告が本件一土地を占有していたとしてもそれは被告を代理してのものにすぎない。

2 仮にそうでないとしても、原告は、昭和五四年七月一六日に、本件不動産についての管理行為はやめると言つて、被告に、本件不動産の登記済証を渡し、時効の利益を放棄した。

四  抗弁に対する認否

抗弁1及び2はいずれも争う。

(第二九号事件につき)

一  請求原因

1(一) 被告は、昭和四八年四月ころ、別紙(二)物件目録記載の不動産を、訴外日本国有鉄道(以下単に「国鉄」という。)に対し、代金八三七万一二五六円にて売り渡した。

(二) 仮にそうでないとしても、被告は、原告に右売買契約締結の代理権を与え、原告は、被告のためにすることを示して、右契約を締結した。

(三) 被告は、原告に、右代金を受領する権限を与え、原告は、被告のためにすることを示して、右代金を受領し、これを被告のために保管していた。

2 原告は、右金員は被告のために保管しているものであり、自己にその処分権がないことを知り又は知りうべきであつたのに、昭和五六、七年ころ右金員のうち、七三七万一二五六円を私消した。

3 よつて、被告は、原告に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づいて、七三七万一二五六円及びこれに対する不法行為の後である昭和五七年一月一四日(訴状送達の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

全部否認する。

原告は、昭和四八年四月ころ、本件二土地を国鉄に代金八三七万九一四九円で売却したが、これは原告が売主となつたものである。すなわち、本件二土地は原告の所有である(その間の事情は第一二九八号事件の請求原因の本件一土地を本件二土地と改めるほかこれと同一であるからこれを援用する。)か少なくとも原告は、本件土地は自己の所有に属すると考えており、原告主張の金員は被告のものと信ずるにつき過失がなかつたものである。

第三  証拠〈省略〉

理由

第一第一二九八号事件について

一本件一、二土地がもと磯吉又は等の所有であつたこと、等は磯吉の長男であり、原告が等の弟であり、サンがもと等の妻であり現在は原告の妻であること、被告が等とサンとの間の長男であり、久美子が等とサンの間の子であること、等は昭和一二年一二月二二日、磯吉は同月二五日にそれぞれ死亡したこと、昭和一三年二月五日被告が磯吉の家督相続人として届出られたこと、その当時被告は三歳であつたこと、原告とサンは昭和一六年七月三〇日婚姻の届出を了したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二〈証拠〉を総合し、これに前記争いのない事実を併せると、次の各事実を認めることができる。

1  磯吉、その妻ムメ、等、原、被告、久美子は、本件一ノ土地上の家屋に同居し、等、原告などが本件一、二土地中の田畑(なお、本件一ノ6の宅地は少なくとも昭和三九年ころまでは田であり、一15の宅地も一14の山林と一筆の土地であつた。)などの磯吉又は等所有の土地を用いて農業を営んで一家の生計を維持していたところ、昭和一二年秋ころ、等は、軍隊に召集されたが、その際、サンに対し、家のことはまかせる旨及び自分にもしものことがあれば原告に頼れとの旨を告げ、また、原告や親族等に対しても後事は原告に頼む旨を告げた。

2  等は、昭和一二年一二月二二日死亡し、その旨は昭和一三年一月上旬ころ遺族に伝えられ、また、磯吉は昭和一二年一二月二五日死亡したため、被告が磯吉を家督相続し、被告及び久美子が等の遺産を相続し、被告の家督相続は昭和一三年二月五日サンにより届出された。

3  原告は、昭和一三年一月一〇日、軍隊に召集され、以後はムメ、サンらが右1の住居に居住し、田畑を耕作するなど、本件一、二土地などの磯吉や等が所有していた不動産の管理に当たつていたが、昭和一五年八月ころ原告が召集を解除されて帰宅してからは、原告が中心となつて右土地で農業を営むようになつた。

4  原告及びサンは、ムメや親戚の者から、一家の生計を維持していくためには、二人が結婚するほかない旨勧められこれを承諾し、昭和一五年一〇月一八日結婚式をあげ、親戚や近隣の人々に披露した。なお、婚姻の届出は昭和一六年七月三〇日了された。

5  原告は、サンと結婚したことにより、自己が「因幡家」の「跡を継いだ」ものと考え、ムメやサンをはじめとして周囲の者も同様に考えていた。

6  原告は、右4認定の結婚後も前1認定の家屋に居住し、被告や久美子、サンとの間に生まれた三名の子の養育に当たるとともに、前同様に田畑の耕作に当たるなどしていたが、農業のみでは一家の生計を維持していくことが困難になつたことから、戦後まもなく多々良村役場に勤務することとなつた。その後は、右田畑の耕作には主としてサンが当たつたが、土曜、日曜のほか、農繁期には役場を休んで原告もこれに当たつた原告は、昭和三〇年ころ多々良村役場を退職し、その後しばらく農業に専念した後、昭和三三年一月から昭和三四年八月までは福岡市東部農協に、更に博多木材等のいわゆる民間企業にそれぞれ就職したが、その間も前同様に農業にも従事し、今日に至つている。

7  昭和二八年六月一〇日土地改良法の規定に従い本件一8土地(交換分合後の新土地)本件二45土地、別紙物件目録三記載の土地はいずれもその旧土地と交換され、原告はそのころその引き渡しを受けた(なお、別紙物件目録三記戴の土地の交換分合前の旧土地ももと磯吉又は等の所有である。)。

8  原告は、昭和二八年秋ころには、本件一14等の山林の松昭和二九年にはそのあとにひのきを植林し、その後下草の刈取りなどを行つてきた。

9  以上のような農業や山林の伐採、植林等は、被告もこれを手伝つていた(特に、中学生のころ(昭和二三年前後か)にはサンが病気をしたため学校を休んで手伝つたため一年遅れることとなつた。)が、被告は昭和三三年三月大学を卒業し、他で就職したため、以後は原告とサンのみで行つてきた。

10  昭和三二年ころ、別紙物件目録三記載の土地を利光に売却し、その代金が原告とサンとの間の子茂子の高等学校の学資などに当てられたが、その交渉等の手続は原告が行つた(ただし、所有権移転登記は、もと磯吉又は等の所有土地について被告名義に登記された後の昭和三九年に被告から利光への売買を原因としてなされた)。

11  昭和三八、九年ころ、本件一土地付近にいわゆる土井団地が建設されるのに伴い、もと磯吉又は等の所有地についてもその一部が進入路として福岡市住宅供給公社に買収されることになつた。その当時まで、右土地はいずれも未登記であるか磯吉あるいはその先代の茂一郎又は等の所有名義であつたため、福岡市住宅供給公社より相続等の登記手続をするよう求められたので、それをきつかけに原告は自己名義に登記しようとして司法書士等に相談したところ、被告名義で登記した後贈与を原因として原告に移転登記するほかなく多額の税金がかかる旨告げられてこれを断念し、被告名義に家督相続又は遺産相続等を原因とする移転登記手続等をするにとどめた。そして、被告の所有名義となれば、いわゆる不在地主であるとして(当時被告は東京都居住)農地法による買収の問題が生ずるのをおそれ、農業委員会から本件一土地について原告又はサンを無償借人、被告を無償貸人とする使用貸借の許可を受けることとした。なお、右登記手続及び買収に関する事務は原告が担当し、買収の代金も原告が受領した。また、右以降昭和五四年ころまで本件一土地の登記済証は原告が保管していた。

12  また、原告は、昭和四四年秋に、もと磯吉が所有し当時被告所有名義となつていた、福岡市東区大字土井字ト子ケ浦所在、七三一番・4.25平方メートル及び同所所在、七三八番・田・四一一平方メートルを代金合計二〇三万円余で寺山木材株式会社に売り渡す手続をとり、その代金を受領したほか、二、三回もと磯吉又は等所有の土地を売却する手続をとつてその代金を受領したことがあり、これら代金を原告とその家族の生活費等にあてたが、そのことに関し、被告から異議がでることはなかつた。

13  なお、本件一、二土地等の固定資産税等は、昭和四四年度分を除き、原告が納税してきたが、それは少なくとも昭和五一年度以降(おそらく昭和三九年度以降)被告の納税管理人としてなしたものである。

三右二の3ないし9認定の事実によると原告は、昭和一五年一〇月一八日及びそれから二〇年を経過した時点で本件一土地(一8土地を占有していたこと、本件一8土地については昭和一五年一〇月一八日及び昭和二八年六月一〇日ころそれぞれ交換分合前の旧土地を占有していたこと並びに昭和二八年六月一〇日ころ及び昭和三五年一〇月一七日に交換分合後の新土地を占有していたこと、が推認できる。したがつて、原告が右各土地を右の各時点の間、引き続き占有していたこと、この占有は平穏かつ公然のものであることがそれぞれ推定され、この推定を覆すべき主張立証はない。

四そこで、原告右占有は所有の意思のないものである旨の被告の抗弁について判断する。

所有の意思は、占有者の内心の意思によつてではなく、占有取得の原因である権原又は占有に関する事情により外形的客観的に定められるべきものであるところ、前二2ないし5認定のとおり、原告は、磯吉の家督相続人であり等の遺産相続人であつた被告(及び久美子)の母であるサンと結婚して本件一土地などの占有を取得したというのであるから、右結婚はそれが親族会を構成する親族等により「因幡家」の跡を継ぐようすすめられてのものであり、原告も「因幡家」の跡を継ぐつもりでなしたものであるとしても、法律的には本件一、二土地等の所有権を取得するに由なきものであり、原告は被告らの継父として(昭和一六年七月三〇日までは事実上の)被告(及び久美子)を代理して(同日以後は親権者として)右土地を占有していたものと解せざるを得ない。なお、原告は、(1)等から本件一、二土地の所有権の「付託」を受けたこと、(2)被告の親権者であるサンから本件一、二土地の所有権の「付託」を受けたことを原告が所有の意思を有していたことの事情として主張する(もつとも、「付託」の意義は必ずしも明確ではない。)。しかしながら、前二認定のとおり、等は召集されたときに原告に対し、あとのことを頼む旨告げているが、これをもつて、自己所有の不動産を死亡時には原告に移転させる旨の意思の表われとはとうてい解せないし、また、サンが原告との結婚時に、被告(及び久美子)を代理して本件一、二土地を原告に贈与する等の原告へその所有権を移転する行為をなしたことを認めるに足りる証拠は何ら存しない。

したがつて原告の右占有は所有の意思のないものと認めることができる。

五次に、請求原因5の事実について判断する。

前二認定のとおり、原告は、昭和三二年ころ磯吉又は等がもと所有していた土地と交換分合された別紙物件目録三記載の土地を訴外利光に売却している事実が認められるが、証人因幡サンの証言及び被告本人尋問の結果によると、右の売却は被告も了承してのものであつたことが認められ、更に前認定のとおり右土地についての因幡利光への移転登記は、右土地につき被告への移転登記がなされた後の昭和三九年になつて、被告名義から利光への移転という形で行われており、これらによると右土地の売却は原告が被告を代理して行つたと解することもできる。それ故、右売却の事実をもつて、原告が本件一土地(一8土地については交換分合後の新土地)を自己の所有物である旨表示したと認めることはできない。他にこのころ原告が右の表示を行つたことを認めるに足りる証拠はない。

六よつて、その余について判断するまでもなく、原告の本件一土地の所有権を時効取得したとの主張は失当であり、原告が本件一土地を所有することを前提とする本訴請求は理由がない。

第二第二九号事件について

一〈証拠〉によると、被告は、昭和四八年三月五日ころ本件二1、2、3、5の土地を代金合計八三七万一二五六円で国鉄に売り渡し、その代金は原告が被告を代理して受領し原告がその通帳及び届出印を保管していた福岡市東部農協の被告名義の普通預金口座にこれを入金したこと(また、本件二4土地は、これとは別に同年一二月一日ころ国鉄に代金二六万六八二三円で売り渡されていること)、原告は、右代金を右普通預金口座から数回にわたり引き出し、うち一〇〇万円を被告にその求めにより送金したほか、自己の用途に使用してこれを費消したことが認められる。

原告は、本件二土地は、本件一土地同様に原告が時効取得した土地であり、原告が売主として国鉄に売り渡したものである旨主張するが、原告の本件二土地に対する昭和一五年一〇月一八日以降の占有が所有の意思のないものであつて本件二土地を原告が時効取得するに由ないものであることは第一の三説示のとおりである。したがつて、〈証拠〉により認められる、右売買についての国鉄との交渉には主として原告が当たつたとの事実をもつてしても被告が売主である旨の右認定を左右しない。

二しかしながら、第一の二認定の本件二土地(4、5については交換分合前の旧土地)などのもと磯吉又は等所有の土地についての占有・管理の経過とりわけ同10ないし12認定の本件二土地売買以前にも原告が手続をしても磯吉又は等所有の土地を他に売却をし、その代金を自己又はその家族のために費消し、これについて被告から何らの異議もでなかつた事実に照らすと、原告が本件二土地の処分権あるいは、本件二土地の売買代金の処分権を有していたと信ずるにつき過失があつたとはにわかに断ずることはできない。

三したがつて、第二九号事件における被告の請求も失当である。

第三結論

以上の次第で、第一二九八号事件及び第二九号事件の各請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟八九条、九二条に従い主文のとおり判決する。 (水上敏)

物件目録一、二、三〈省略〉

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